食べて良い草 悪い草

草は良いもの

誰かの期待に応え続けることと走り続けることは違う

その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない という言い回しがありますが、種の進化に限らず、現代社会を生きるにあたり、同じことが言えそうだなと思う私です。
AIとかもそうですが、色々な分野の成長が目覚ましく、時代に取り残されないためには走り続ける必要があるのかなと。

ただ、その場合、それは自分のために走り続けるべきであろうと思う、というのが表題の件です。

私は他人の期待に応えるために、興味が無いことに目を向けることがどうにも苦手であり、まったく気乗りしない性質を持っています。
どうしたもんかねぇ、こういう場合、あなたならどうする、と夫氏に聞いてみたところ「興味を持つように努力する」という超人アンサーが繰り出されました。夫氏にはまず、そもそも私は人間ではない*1というところからご理解いただく必要がありそうです。
もしも、興味が無いことに興味を持てたなら、それはもう人として進化してるんじゃ…

話が逸れました。
それでまあ、なんか色々考えた結果、自分の期待に応えるためなら出来そう、みたいなことに最近気付いたというだけの話です。
自分のためなら出来そう、という話ではないところが何とも妙なもので、例えば自分のために良いと分かっていても運動することに対して並々ならぬ抵抗があります。運動することでストレス解消される筈ですが、嫌々やってるので多分相殺されています…

人とは儘ならぬものですね。

*1:いわゆる「普通」という概念に囚われたくないが為の表現のうちのひとつ